東京高等裁判所 平成2年(ネ)2444号 判決 1991年2月26日
控訴人 フェニックス株式会社(旧商号 新協海運株式会社)
右代表者代表取締役 水野雅之
右訴訟代理人弁護士 成毛由和
同 成田茂
同 狐塚鉄世
控訴人 三宝魚類株式会社
右代表者代表取締役 佐藤攻
右訴訟代理人弁護士 梅澤秀次
被控訴人 日清不動産株式会社
右代表者代表取締役 芦沢清市
右訴訟代理人弁護士 鍛治利秀
同 渡辺春己
主文
一、本件控訴をいずれも棄却する。
二、控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、控訴人ら
1. 原判決を取り消す。
2. 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3. 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
二、被控訴人
主文第一項同旨
第二、当事者の主張
一、請求原因
1. 被控訴人は、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を所有している。
2. 本件土地につき、東京法務局城北出張所平成元年四月一〇日受付第二七九二六号をもって控訴人フェニックス株式会社(平成元年七月一〇日商号変更前は新協海運株式会社、以下「控訴人フェニックス」という。)を根抵当権者とする根抵当権設定登記、同日受付第二七九二七号をもって控訴人三宝魚類株式会社(以下「控訴人三宝魚類」という。)を根抵当権者とする根抵当権設定登記及び同月一四日受付第二九四八八号をもって控訴人フェニックスを権利者とする所有権移転登記(以上の各登記を以下「本件登記」という。)がなされている。
3. よって、被控訴人は、本件土地の所有権に基づき、控訴人フェニックスに対しては右根抵当権設定登記及び所有権移転登記の、控訴人三宝魚類に対しては右根抵当権設定登記の各抹消登記手続を求める。
二、請求原因に対する認否
請求原因1、2の事実は認める。
三、抗弁
1. 根抵当権設定契約及び売買契約
(一) 控訴人フェニックスは、平成元年四月七日、被控訴人(代表取締役は松島利満、以下「松島」という。)との間で、本件土地につき、控訴人フェニックスを根抵当権者、被控訴人を根抵当権設定者兼債務者、極度額二〇億円、債権の範囲を金銭消費貸借取引・手形割引取引・手形債権・小切手債権とする根抵当権設定契約を締結した。
(二) 控訴人三宝魚類は、同月一〇日、被控訴人(代表取締役は松島)との間で、本件土地につき、控訴人三宝魚類を根抵当権者、被控訴人を根抵当権設定者兼債務者、極度額一二億円、債権の範囲を金銭消費貸借取引・手形割引取引・手形債権・小切手債権とする根抵当権設定契約を締結した。
(三) 控訴人フェニックスは、同月一三日、被控訴人(代表取締役は松島)との間で、控訴人フェニックスを買主、被控訴人を売主とする本件土地の売買契約を締結した。
2. 商法一四条の主張
仮に、松島が被控訴人の代表取締役ではなかったとしても、
(一) 右1の各契約締結当時、被控訴人の商業登記簿には、松島が被控訴人の代表取締役として登記されていた。
すなわち、「平成元年二月二日、被控訴人の代表取締役であった芦沢清市(以下「芦沢」という。)が代表取締役を退任して取締役を辞任し、同日、松島が取締役及び代表取締役に就任した」旨の登記が同月三日受付でされている(松島の各就任登記を以下「本件就任登記」という。)。
(二) 被控訴人は、故意又は過失により、後記(三)のとおり、不実の事項を登記したものであり、控訴人らは、松島が被控訴人の代表取締役ではないことを知らずに、松島を被控訴人の代表取締役と信じて取引をしたものである。
(三) すなわち、登記申請権者(当時の代表取締役芦沢)の知らない間に同人の意思に基づかないで勝手になされた不実の登記であったとしても、芦沢は、本件就任登記の存在を知った平成元年三月八日ころ以降、直ちに次のいずれかの措置をとるべきであったのに、その是正措置をとることなくこれを放置していたものであり、重大な過失があったものというべく、登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情がある。
(1) 被控訴人の本店所在地を管轄する横浜地方裁判所に対し、松島及び被控訴人を相手方として、直ちに松島の取締役兼代表取締役の職務執行停止及び代行者選任の仮処分申請をすべきであったのに、芦沢は、本件就任登記の事実を知ったときから三四日を経過した平成元年四月一一日になって、漸く右仮処分申請を行い、同月二〇日に仮処分決定がなされ、同月二一日にその旨の登記を経たものである。芦沢が直ちに右仮処分申請の準備をしたならば、準備期間、審理期間を考慮しても、同年三月中には、右仮処分がなされていたであろうことは確実である。
(2) 被控訴人の主張によれば、芦沢及びその妻が一万二〇〇〇株の株式を所有している同族会社であるから、株主総会を招集して取締役を選任したうえ、取締役会を開催して新代表取締役を選任することは極めて容易なはずであり(全員出席総会によれば、招集手続を回避することもできる。)、この手続をとって代表取締役の変更登記をすることも可能であった。
(3) 更に、芦沢としては、本件土地その他被控訴人所有不動産を管轄する法務局(出張所)に対し、「犯罪行為により被控訴人代表者についての不実登記が現出されており、引き続き被控訴人所有不動産に対し担保設定等の虚偽の登記手続がなされるおそれが強いこと、仮に右登記申請手続がなされたときは直ちに被控訴人宛へ連絡されたい」旨を内容とする上申書を提出することが考えられる。管轄法務局に対し、右のような要望をすることは、一般に行われており、法務局も法的義務としてではないものの、実際上は右通知、要望に対応して、虚偽の登記申請がなされたときには通知者への連絡等の便宜を図っている。
(4) 本件土地その他の不動産の現地において、不実の代表者就任登記がなされている事実及び右登記を利用した詐欺行為が行われている事実を記載し警告する看板を立てることも、新たな被害の発生を防止するための簡単かつ有効な手段と考えられる。
(5) しかも、芦沢は、平成元年三月一〇日までには、鎌倉市役所における芦沢の虚偽の印鑑登録、松島の被控訴人代表者への就任登記、これを利用した本件建物に対する共栄ファクター株式会社への根抵当権設定登記という適法な手続では生じえない、すなわち犯罪行為の結果であるとしか考えられない事態が引き起こされていることを知るに至ったものであり、その結果、右時点以後も右不実の登記がかかる犯罪行為に利用され得ることを充分に予想しえた(ないし予見していた)にもかかわらず、芦沢は、三月一〇日に鎌倉警察署への告訴手続と四月一一日の仮処分申請だけであり、前記(2)ないし(4)の容易な手段をとらず、そのため、本件就任登記を信頼した控訴人らは十数億円の金員を詐取されるという多大な損害を被ることとなったものである。
右のとおり、芦沢は、本件就任登記を信頼して取引に入った第三者に損害が生ずるのを防止するため相当な措置を講ずる義務があったにもかかわらず、これを怠ったものである。
(四) なお、商法一四条の解釈として、登記申請権者が故意・過失により自ら不実の登記をした場合と登記申請権者以外の者の申請により不実の登記がされた場合とを根本的に区別する理由は認められず、外観保護を目的とする規定(外観法理)の一般的な解釈適用の問題として、真実でない外観が存する場合に、その出現・存続に対する当事者の帰責事由の有無・程度とその外観を信じた第三者の保護の必要性を比較衡量して、その適用の可否を考えるべきものであり、「不実の登記を登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情」の有無という判断基準によることには、何ら合理性が認められない。
そして、前記(三)のとおり、被控訴人(代表者芦沢)の帰責の程度は相当に高いものといわざるを得ず、他方、控訴人らは、これといった過失も認められない。これら双方の事情を比較すれば、控訴人らは、商法一四条の規定の適用により保護されるべきである。
(五) したがって、被控訴人は、商法一四条により、本件就任登記が不実であることをもって、善意の第三者である控訴人らに対抗することができない。
四、抗弁に対する認否
1. 抗弁1(一)ないし(三)の事実のうち、松島が被控訴人の代表取締役であるとの点は否認し、その余の主張は争う。
当時の被控訴人の代表取締役は芦沢であり、松島は代表取締役でも取締役でもなかったものである。
すなわち、松島の本件就任登記は、被控訴人の平成元年二月二日開催の臨時株主総会において松島を被控訴人の取締役に選任する旨の決議を前提とするものであるところ、被控訴人では、発行済株式総数一万六〇〇〇株のうち、芦沢が七〇〇〇株、芦沢の妻幸子が五〇〇〇株を所有する株主で、昭和六三年一〇月二五日の株主総会において、芦沢が取締役に重任され、同日の取締役会で代表取締役に重任されていたものであるが、平成元年二月当時代表取締役であった右芦沢は、右臨時株主総会招集手続をしたこともなく、右総会に出席して議長となった事実もなく(株主総数四名全員出席とされているが、芦沢夫婦は出席していない。)、右株主総会は全く開催されておらず、松島の取締役選任決議は不存在であり、芦沢が代表取締役を退任し、取締役を辞任したとの事実もない。
そして、芦沢は、横浜地方裁判所に被控訴人を相手方として、右臨時株主総会における松島を取締役に選任する旨の決議が存在しないことの確認を求める訴えを提起し、同裁判所は、平成二年二月二三日にこれを認容する判決を言渡し、これが確定した。
2.(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の主張は争う。
(三) 同2(三)の主張は争う。
(1) 同(三)(1)の事実のうち、芦沢が平成元年四月一一日に仮処分申請を行い、同月二〇日に仮処分決定がなされ、同月二一日にその旨の登記を経たことは認める。
(2) 同(三)(2)の事実のうち、芦沢及びその妻が一万二〇〇〇株の株式を所有しており、被控訴人が同族会社であることは認める。
(3) 同(三)(5)の事実のうち、芦沢が平成元年三月一〇日までには、鎌倉市役所における芦沢の虚偽の印鑑登録、松島の被控訴人代表者への就任登記、これを利用した本件建物に対する共栄ファクター株式会社への根抵当権設定登記がなされていたことを知るに至ったこと、三月一〇日に鎌倉警察署への告訴手続をし、四月一一日に仮処分申請をしたことは認める。
(四) 同2(四)の主張は争う。
(五) 同2(五)の主張は争う。
第三、証拠関係<省略>
理由
一、請求原因1、2の事実は、当事者間に争いがない。
二、抗弁1(根抵当権設定契約及び売買契約)について
1. <証拠>によれば、控訴人らは、被控訴人の代表取締役と称する松島(と名乗る男)との間に、本件土地につき、控訴人フェニックスにおいては抗弁1(一)及び(三)記載のとおりの根抵当権設定契約及び売買契約を、控訴人三宝魚類においては抗弁1(二)記載のとおりの根抵当権設定契約をそれぞれ締結したことが認められる。
2. ところで、右契約当時被控訴人の商業登記簿上は松島が被控訴人の代表取締役として登記されていたことは、当事者間に争いがない。
しかしながら、成立に争いがない甲第一、第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、松島の本件就任登記は、被控訴人の平成元年二月二日開催の臨時株主総会において松島を被控訴人の取締役に選任する旨の決議を前提とするものであるところ、被控訴人の昭和六三年一〇月二五日の株主総会において取締役に重任され、同日の取締役会で代表取締役に重任されていた芦沢は、右臨時株主総会招集手続をしたことも、右総会に出席して議長となった事実もなく、右株主総会は全く開催されていないとして、横浜地方裁判所に被控訴人を相手方として、右臨時株主総会における松島を取締役に選任する旨の決議が存在しないことの確認を求める訴えを提起し(同裁判所平成元年(ワ)第一三四四号事件)、同裁判所は、平成二年二月二三日にこれを認容する判決を言渡し、同判決は同年三月一〇日に確定したことが認められる。
したがって、松島(と称する男)が控訴人らとの間で前記契約を締結した当時、松島が被控訴人の取締役ではなかったこと(したがって、代表取締役でもなかったこと)が右確定判決の対世効により確定しているものであるから、前記各契約は被控訴人に効力が及ばないことは明らかである。
三、抗弁2(商法一四条の主張)について
1. 抗弁2(一)の事実は、当事者間に争いがなく、前記説示のとおり、本件就任登記は不実の登記である。
2. ところで、商法一四条が適用されるためには、原則として、右登記自体が当該登記の申請権者の申請に基づいてされたものであることを必要とし、そうでない場合には、登記申請権者が自ら登記申請をしないまでもなんらかの形で当該不実の登記の実現に加功し、又は当該不実の登記の存在が判明しているのにその是正措置をとることなくこれを放置するなど、右登記を登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情がない限り、同条による登記名義者の責任を肯定する余地はないものと解すべきである(最判昭和五五年九月一一日民集三四巻五号七一七頁参照)。
控訴人らは、抗弁2(四)のとおり、商法一四条の解釈につき、外観法理の一般的な解釈適用の問題として、不実の登記の出現・存続に対する当事者の帰責事由の有無・程度とその外観を信じた第三者の保護の必要性を比較衡量して、その適用の可否を考えるべきものであり、登記申請権者の申請による登記か、それ以外の申請による登記かで区別する根拠はなく、登記申請権者以外の場合に、「不実の登記を登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情」の有無という判断基準によることには合理性がない旨主張する。
しかしながら、商法一四条が規定する責任(表見法理)は、登記の申請権者が故意又は過失により不実の事項を登記し、その外観を作出したことにその根拠を有するものであるから、登記自体が当該登記の申請権者の申請に基づいてされたものでない場合には、たとえその登記を信頼して取引関係に入った者であっても、当然には保護されるものではなく、右不実の登記を登記申請権者の申請に基づく登記と同視するのを相当とするような特段の事情があるときに限り保護されると解すべきであり、控訴人らの右主張は採用できない。
3. そこで、本件就任登記につき、被控訴人の代表取締役である芦沢が自らその登記を申請したものと同視するのを相当とするような特段の事情があるか否かについて、検討する。
抗弁2(三)(1)の事実のうち、芦沢が平成元年四月一一日に仮処分申請を行い、同月二〇日に仮処分決定がなされ、同月二一日にその旨の登記を経た事実、同(2)の事実のうち、芦沢及びその妻が一万二〇〇〇株の被控訴人の株式を所有しており、被控訴人が同族会社である事実、同(5)の事実のうち、芦沢が平成元年三月一〇日までには、鎌倉市役所における芦沢の虚偽の印鑑登録、松島の被控訴人代表者への就任登記、これを利用した本件建物に対する共栄ファクター株式会社への根抵当権設定登記がなされていたことを知るに至り、三月一〇日に鎌倉警察署への告訴手続をし、四月一一日に仮処分申請をした事実は当事者間に争いがない。
右争いのない事実に、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 被控訴人は、昭和三二年九月一一日、不動産の管理及び賃貸借を目的として設立された、資本金八〇〇万円、発行済株式の総数一万六〇〇〇株の株式会社で、代表取締役である芦沢(明治三九年七月一日生)が七〇〇〇株、その妻で取締役の芦沢幸子が五〇〇〇株を所有し、右両名で被控訴人の発行済み株式の大半を所有するいわゆる同族会社である。芦沢は、松島とは面識がなく、本件就任登記の件で初めてその名前を知ったものである。
(二) 本件就任登記は、代表取締役であった芦沢の意思に基づかずになされたものであった。すなわち、まず、何者か(高齢者)が、芦沢の名をかたり、芦沢本人と称して、昭和六三年一一月四日、芦沢の印鑑登録がなされている鎌倉市役所において、芦沢の実印及びその印鑑登録証を紛失したとして、芦沢名義の真正な印鑑登録の廃止申請と芦沢名義の偽造印鑑の新たな印鑑登録申請を行い、同日、印鑑登録証明書四通の交付を受け、更に、平成元年一月三〇日、被控訴人の本店所在地を管轄する横浜地方法務局藤沢出張所において、右偽造印鑑により被控訴人代表者の登録印鑑の改印届を行ったうえ、氏名不詳者が松島の印鑑及び印鑑登録証明書、右偽造された芦沢名義の印鑑、芦沢幸子及び取締役降矢幸蔵の名義の各印鑑をそれぞれ冒用して、平成元年二月二日付臨時株主総会議事録(甲第二号証の二)、同日付取締役会議事録(同号証の三)、芦沢の同日付辞任届(同号証の四)をそれぞれ偽造するとともに、松島の同日付就任承諾書(同号証の五)を作成し、同月三日、芦沢が被控訴人の代表取締役を退任して取締役を辞任し、松島が被控訴人の取締役に選任されて代表取締役に就任したとする旨の本件就任登記の手続が新代表取締役である松島を申請者被控訴人の代表者としてなされた。
(三) 芦沢は、平成元年三月三日ころ、従業員からの連絡で、本件土地に共栄ファクター株式会社を登記権利者とする根抵当権設定登記が同年二月二八日受付でなされた旨の通知が、東京法務局城北出張所から代表者を松島として被控訴人宛に来ていることを知り、同年三月四日、本件土地の登記簿謄本を取り寄せたところ、被控訴人代表者である芦沢の知らない間に根抵当権設定登記がなされていることを確認し、その対処方を被控訴人訴訟代理人弁護士に依頼し、その結果、同月八日、商業登記簿上、芦沢が被控訴人の代表取締役を退任して取締役を辞任する旨の登記と本件就任登記が同年二月三日付でされていることを初めて知るに至った。
(四) 芦沢は、直ちに右弁護士に依頼して、そのような偽造登記がされた原因を調査し、その結果、鎌倉市役所で芦沢の偽造の印鑑登録がなされていることを突き止めたが、犯人の心当たりはなかった。そこで、芦沢は、同年三月一〇日ころ、右偽造印鑑登録の申請に関して私文書偽造・同行使罪により、また本件就任登記と共栄ファクターの根抵当権設定登記に関して私文書偽造・同行使・公正証書原本不実記載罪により、いずれも被疑者不明で鎌倉警察署に告訴し、その後は、真相解明のため警察の捜査に協力して、鎌倉市長谷所在の自宅で数回警察の事情聴取に応じ、また警察からの要請もあり目立った行動を避けて捜査の進展を見守る一方、本件就任登記の是正のための訴訟手続等を弁護士に依頼して、そのための準備にとりかかったが、当時八二歳の高齢で健康状態もすぐれず、医師の診断を受けて自宅療養中の状況にあり(気管支拡張症に風邪による発熱で同年一月から寝ていた。)、外出も思うにまかせなかったほか、当時数億円の負債があり、不動産の処分禁止の仮処分をも含めた仮処分の保証金の手当ての問題もあって(四月中は間に合わず、職務執行停止の仮処分事件については被控訴人訴訟代理人が立替えることとなった)、その準備に多少の期間を要した。
(五) 芦沢は、同年四月一一日、横浜地方裁判所に対し、松島及び被控訴人を債務者として、松島の被控訴人の取締役兼代表取締役の職務執行停止及び同取締役兼代表取締役の職務代行者選任の仮処分を申請し(同裁判所平成元年(ヨ)第三四四号事件)、同裁判所は、同月二〇日、債務者松島に対して三〇万円、債務者被控訴人に対して七〇万円の保証を芦沢に立てさせたうえで右申請を認容し、松島の取締役兼代表取締役の職務執行停止及び弁護士陶山圭之輔を被控訴人の取締役兼代表取締役職務代行者に選任する旨の仮処分決定をし、同月二一日その旨の登記がなされた。また、芦沢は、同年六月一日ころ、同裁判所に対して、松島及び被控訴人を相手方として、松島を取締役に選任したという同年二月の臨時株主総会決議の不存在の確認の訴えを提起した。
以上の事実を認めることができる。
4. 右認定の事実関係によれば、松島が被控訴人の取締役及び代表取締役に就任したとの不実な本件就任登記の実現に被控訴人代表者である芦沢が何らかの加功をしたとの事情は全く窺えない。また、芦沢は、平成元年三月三日ころに本件土地に不審な登記手続がなされていることを知り、翌四日に本件土地の登記簿謄本を確認のうえ、直ちにその対処方を弁護士に依頼し、その調査の結果、同月八日ころ、本件就任登記の存在を知ったものであって、しかもその直後の同月一〇日には、犯行内容の重大さから、前記認定の私文書偽造・同行使・公正証書原本不実記載罪で刑事告訴手続をとり、真相解明のために公権力の発動を要請していたものである。もっとも、本件就任登記の是正のための手続については、右登記の存在を知ってから直ちに具体的な措置がとられたものとはいえないが、これとても、弁護士には直ちに依頼していたもので、捜査への協力や訴訟関係手続の準備さらには芦沢自身の健康状態が思わしくないことなどから三四日ほど経たものの、同年四月一一日には前記職務執行停止及び職務代行者選任の仮処分の申請に及んでおり、右是正措置までに多少の日時を要したといえるとしても、その間、芦沢が本件就任登記の存在を是認していたものでないことは明らかであり、また、右の刑事告訴により捜査が開始されている状況にあったものであるから、右捜査による犯人の判明、さらには逮捕により、不実の登記を利用した犯罪行為の発生が早期に防止されるものと期待されるうえ、他面、捜査協力により、本件就任登記が不実の登記であることの立証が容易となり、民事上の是正のための手続の準備、立証活動のためにも、有益であることからすれば、右芦沢がとった措置が、不実の登記を知ったのち、その是正措置を講ずることなくこれを放置していたものとは到底認められない。
5. なお、控訴人らは、本件就任登記の是正措置としては、職務執行停止の仮処分によるまでもなく、直ちに株主総会や取締役会を開催して、松島を代表取締役から解任して取締役変更登記をするなど簡便迅速な方法があり、そのような方法がとられていれば、控訴人らが松島を被控訴人の代表者として取引することもなかった旨主張するけれども、そのような方法によった場合は、松島が登記のうえで代表取締役とされていた期間中に、同人を代表者として取引した者から、後日被控訴人は松島が被控訴人の代表者としてなした行為を追認したと主張されるおそれもあるから、必ずしも右のような方法が適切で妥当なとるべき手段であったということはできないし、仮に、右手段が適切な方法であったとしても、前記認定の事実経過に照らせば、右手段を取らなかったからといって、直ちに不実の登記である本件就任登記につき、被控訴人の代表取締役である芦沢が自らその登記を申請したものと同視するのを相当とするような特段の事情があるということはできない。
また、控訴人らは、抗弁2(三)(3)及び(4)のとおり、管轄の法務局(出張所)に対する上申書の提出や現地において警告の看板を立てることにより、容易に新たな被害の発生を防止するための措置をとることができた旨主張し、前記認定の事実経過において、被控訴人がこれら控訴人ら主張に係る措置を講じていなかったことが窺われる。
しかしながら、右方法は確かに新たな被害の発生を防止するためには、それなりの措置と考えられるものの、本件就任登記に対する是正措置それ自体に関するものではないうえ、本件においては、前記認定のとおり、本件就任登記を知った初期の段階で芦沢は刑事告訴をし、捜査が開始されているのであるから、管轄の法務局(出張所)に対する問い合わせや不審な登記手続の有無の確認等は、本来基本的な捜査事項であるというべきであるし(なお、弁論の全趣旨によれば、被控訴人訴訟代理人による調査の過程で、本件就任登記が不実の登記である旨を法務局に連絡していたことが認められる。)、また不実の登記がある旨の立看板を現地に設置することは、捜査の密行性の観点から必ずしも適切でない場合もあり(前記認定のとおり本件ではその趣旨の警察からの要請もなされていた。)、しかも、原審における被控訴人代表者尋問の結果によれば、被控訴人では、駐車場として使用していた本件土地の管理人には、不実の登記がなされていることを知らせ、そのような問い合わせに適切に対処できるようにしていたことが認められるのであるから、控訴人らの被控訴人に対する非難は、当たらず、被控訴人が控訴人ら主張の方法をとらなかったことをもって、前記特段の事情があるということもできない。
他に右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。
6. そうすると、控訴人らの抗弁2の主張は採用できない。
四、したがって、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容すべきものである。
五、よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 赤塚信雄 桐ヶ谷敬三)
<以下省略>